3分でわかる!ビンラディンからイラク戦争までの流れを解説

911から、イラク戦争、ビンラディン殺害までをざっくり説明します。


話は、30年以上前の冷戦時代にさかのぼります。

ソ連が隣国であるアフガニスタンに侵攻しました。

隣国アフガニスタンが親米化したからです。アフガニスタンがアメリカと仲良くなると、ソ連とアフガンの国境近辺に米軍基地が作られる可能性があり、ソ連にとっては大変危険です。

さらに近隣諸国でイスラム主義を掲げる政権が誕生し、その影響で、アフガニスタンから、ソ連国内のイスラム系民族が宗教の結束化に目覚め、ソ連に対して暴動や革命を起こす恐れがありました(他には、不凍港を求めてインド洋・中東に向かうルートを、確保したかったという、いつものロシアンな理由もあります。)
ソ連は、アフガニスタンを正直なめてましたので、短期で戦争は終わると目論んでいたのですが、予想以上に厳しい地獄の戦いが続き、以後10年にわたる泥沼となり、結局ソ連の経済も疲弊し、アフガンから撤退したのでした。

このアフガニスタン侵攻の影響によって、イスラム世界に、過激なテロリスト集団が続々生まれていきます。

テロリスト集団のゲリラ活動を支援していたのが、ソ連の敵である米国です。米国は武器と資金とゲリラ戦術を、テロリストたちに提供し一流のゲリラを養成しました。

そしてその中に、後に911の首謀者となる、若き日のビンラディンもいたのです。(サウジアラビアのお坊っちゃんがアフガンに赴き、イスラムの同志のために資財をなげうち聖戦にむかったのです。)


ソ連が撤退したアフガンでは、今度は内戦がおきます。(ソ連は去り、米軍はそのままいすわった。)

ビンラディンが属していたグループの敵対勢力にアメリカが付いたことで、ビンラディンは反米に転向します。

「アメリカは戦争を招く原因だ!」的な。(まったくもってその通り!)

クリントン政権の頃、アフリカの米国大使館で、大きな爆弾テロをビンラディンはおこしました。


これがきっかけで、米国とビンラディンは完全に交戦状態になったのです。


その後、2001年に、9・11同時多発テロが勃発。

以降、アメリカはテロとの戦争を宣言、

まずはビンラディンを匿う、タリバン政権のアフガニスタンを攻撃。ここまでは世界各国、戦争に賛成していました。プーチン大統領も、米国への協力を惜しみませんでした。

そして2か月でタリバン討伐に成功、(だがビンラディン見つからず)


しかし怒りが収まらない子ブッシュは、さらに2002年にイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、世界平和に対する脅威と人権抑圧を続けているとして非難しました。

特にイラクは91年の湾岸戦争後、フセイン政権は経済制裁を受けながら核開発疑惑に対する国連の査察を強く拒否していました。しかもフセイン大統領は、湾岸戦争後国内の反対勢力を厳しく弾圧し、ますます独裁権力を強めていたのです。

大量破壊兵器の開発を口実に 2002年、子ブッシュは

「イラクは排除されなければならない」と糾弾しましたが、ロシア、各国はイラクへの攻撃を反対します。

しかし、子ブッシュは聞く耳を持ちませんでした。

2003年、米軍はバグダッドを空爆、ピンポイントでフセインの殺害をねらったが失敗しました。アメリカ合衆国のもくろみはフセインさえ殺害すれば、イラク国民が起ち上がるであろうという楽観的なものでした。米軍は劣化ウラン弾やクラスター爆弾を投入

そして、イラクの政権は倒壊しました。フセインはその後も潜伏を続けましたが、ついには捕らえられ、2006年に処刑。

ですが結局、大量破壊兵器はみつからないままでした。冤罪だったのです。

そのうえ、フセインの政権崩壊後、拘留施設として米軍が運営していたアブグレイブ刑務所で、2003年10月から12月にかけて被収容者(捕虜)に対する著しい虐待(拷問)も行われていました。

 


さて話は、ビンラディンに戻ります。

米軍の大規模な捜索にもかかわらず、ビンラディンを拘束することができないまま10年近くが経過しました。子ブッシュも大統領任期が過ぎ、オバマが米国の大統領になります。

そんな時にようやくパキスタン国内に、ビンラディンの隠れ家の情報が入り込みます。(ビンラディンの元妻からの密告によるものでした。)

パキスタン北部の隠れ家で、妻、子供、孫と数十人で6年間息をひそめるように隠れ続けていたのです。

潜伏先を見破られないようテレビの衛星アンテナや電話回線は設置せず、インターネットに接続することもありませんでした。子どもたちは近所の子と遊ぶことを許されず、塀に囲まれた敷地内でほとんどの時間を過ごしたようですが、

最後の数年間は認知がすすみ、隠れながら、子供や孫と一緒に日本のアニメやゲームを楽しんでいたようです。

隠れ家に突入した米軍兵士は即座にビンラディンを射殺。

(残酷映像なのでモザイクをかけました。気になる方は「ビンラディン殺害」で検索してください。)

子供や孫らは国外追放されました。

これにて、米国とビンラディンの長い長い戦いは幕を閉じました。

ですが、イラクでの大きな過ちを犯した米国は、この勝利を素直に受け入れられず、むなしさだけが残ったのでした。

 


ちなみに、ビンラディンを射殺した米軍兵士ですが、

 

2012年に軍務を離れて以来、復讐の恐怖に神経をすり減らしながら、生活の糧を得るのに腐心します。

16年間の勤務を経て海軍を退役しましたが、「勤続20年」の規定に達していなかったため年金を受給できず、生活は困窮。

退役した現在は無職で恩給も受けられず、身の安全も保障されず、報復の影におびえ酒におぼれているらしく、数年前、飲酒運転で逮捕までされました。あんなに国のために尽くしたのに・・

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