3分でわかる!アメリカの陰謀とカラー革命(バラ革命、オレンジ革命、チューリップ革命)

 

時はさかのぼる事、2003年。

 

「あと15年後にはアメリカ国内の石油は枯渇し始める」とアメリカは危機感を抱きだした。

 

そこにきて、ロシア最大の石油会社ユコスの社長ホドルコフスキーの逮捕という「ユコス事件」がおきた。

(ユコス事件についてはこちらの過去漫画をお読みください。)

「ロシアの石油はいただいたも同然」と企んでいたアメリカにとって、これを阻止したプーチンはゆるしがたい敵である。これまでおだやかにすすんでいた米ロの蜜月は断ち切られ、米ロ対立へとシフトチェンジしていったのだった。

そこでアメリカが思いついたのが、

「ロシアの勢力圏である旧ソ連諸国で革命を起こし、親米反露の傀儡政権を樹立する」ことにしたのである。


もちろん傀儡を立てたからには、当然資源の利権をかすめとれるようにしたい。

そこでターゲットになったのが

カスピ海周辺の国々だ。

以前からカスピ海には、1780億バレルに及ぶ原油が埋蔵されているといわれており、「眠れる資源宝庫」とささやかれていた。(都合のいいことに、近隣国のロシアはこれまで海洋エネルギーの採掘技術を持ち合わせておらずカスピ海の資源に手を付けていないままだったのだ)

 

カスピ海地域は

中央アジア(カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギス、タジキスタン、アフアニスタン)

コーカサス(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン)

に分かれる。

その中でもコーカサスの最大の資源国はアゼルバイジャンだ。

アゼルバイジャンの石油は、ロシアの黒海沿岸都市にガスパイプラインを通して、世界に送り込まれているのだが、

もともと1996年のアメリカ・クリントン大統領によって、ロシアを通さずアゼルバイジャンの石油を世界市場に供給する「BTCガスパイプライン」を作る予定があったのだが、

クリントンのバックは金融業界だったため、この計画はみな乗り気になってくれず、そのままとん挫した。

ところが、石油業界が支持基盤の

ブッシュ大統領によってこのプロジェクトは蘇ったのだった。

 


 

アメリカ主導のBTCガスパイプラインの情報をかぎつけたプーチンは、この計画を引き裂くことに乗り出した。

だが、当時のアゼルバイジャンの大統領はヘイダル・アリエフ。

ソ連時代のアゼルバイジャンKGB議長でプーチンにとって大先輩ともいえる存在で、一筋縄ではいかない男だった

そこでプーチンはアゼルバイジャンにではなく、アゼルバイジャンの隣国である

グルジアに圧力をかけることにした。

(当時のグルジアは親米路線のシェワルナゼ。)

まずは、グルジア国内から独立を目指そうとしているアブハズ人たちの住むアブハジア自治州と、オセチア人たちの住む南オセチア自治州を支援し、

グルジア内の政情を不安定化させることから始めた。さらに、グルジアに向けて送られているガス・電力の供給を制限し、グルジアを弱らせた。圧力をやめるひきかえとして、アメリカとの親交を断ち切り、ロシア側につくことを強引に迫ったわけである。

シェワルナゼは困り切り、ロシア側につくことを考え始めた。

そんなシェワルナゼをアメリカはこの際切り捨てて、新しい親米寄りの傀儡大統領を打ち出そうと策略を練った。

(BTCガスパイプラインはロシアを通さず、トルコ経由でグルジアを通して欧州へ向けて建築される予定だったからだ。)

そこでアメリカに傀儡として見いだされたのが、ミヘイル・サアカシビリだ。

2003年。グルジア議会選挙がおこなわれた。

サアカシビリ率いる野党勢力は選挙前、「腐敗が続いたこの国では第三者による監視が必要だ。アメリカに選挙を見張ってもらう。」と主張。

シェワルナゼ側はしぶしぶ了承。アメリカも快く引き受けた。(仕組んだ側だから当然なのだが)

だが、選挙はシェワルナゼが勝利し、サアカシビリ率いる政党が敗北。これを野党は、「選挙に不正が行われた」と叫びだし、巨大なデモが発生。デモは拡大していき、議会ビルを占拠するまでにいたった。

このデモにより、シェワルナゼは辞任させられ、代わりに

サアカシビリがグルジア新大統領に就任することとなった。

このデモの一連の流れを

グルジアの「バラ革命」と呼ぶ。

(議会ビルを占拠した際に、サアカシュヴィリ率いる野党支持者が手にバラを持ってデモを行ったことから、こう呼ばれるようになった。)

その後、サアカシビリとグルジアがどんな運命をたどったかは、こちらの過去ブログをご覧ください。

 


さて、グルジアに革命をおこし、傀儡政権を立てることに成功したアメリカが次に狙いをつけたのはロシアと欧州のはざまに位置する

ウクライナだ。

2004年ウクライナ大統領選挙で行われた。候補者は

新露派のヤヌコビッチと↓

親米派のユシチェンコ。

 

ここでまたしても、グルジアの時と同じパターンが繰り返された。

「不正選挙が行われ敗北したとされる」ユシチェンコを支持する政党と群衆は、

オレンジ色の旗。オレンジ色のマフラー。オレンジ色のテントで染め上がりデモは拡大し、

結果。親米派のユシチェンコが新大統領となった。

このウクライナの一連の政変を

ウクライナのオレンジ革命と呼ぶ。


さてさて次なるアメリカの傀儡国家のターゲットは、旧ソ連諸国の中の中央アジアに位置する石油大国

カザフスタン

だったが、カザフは中国の隣国のため、なかなか介入が難しかった。では、その次に重要な位置に属していた国家

キルギス

に狙いを定めることにしたのだ。

2005年の議会選挙で現職のアカエフ大統領が再選したのだが、

またしても、バラ革命、オレンジ革命と同じ流れが起きたのだった。

アカエフは、野党勢力にアメリカが付いていることを察し、プーチンの庇護の下、ロシアに亡命することとなった。

アカエフ去りし後、

親米派のバキエフが

新大統領に就任することとなった。

このキルギスの一連の政変を

キルギスのチューリップ革命と(以下略)

 

 

このバラ革命、オレンジ革命、チューリップ革命をまとめて

カラー革命とよぶ。

 

さて、連戦連勝で気をよくしたアメリカが次に狙う旧ソ連国家は

キルギスの西隣に位置する

ウズベキスタン。

そしてウクライナとロシアの隣国である

ベラルーシにも

同じ政変のパターンを仕組もうと試みたのだが、

さすがに、何度も同じパターンが通じるほど、ロシアや東側の独裁者もバカではない。

ウズベキスタンは2005年、アフガン戦争時から駐留させていた米軍を完全に撤退させ、つけいるスキを事前にふさいだ。

ベラルーシのルカシェンコも同様だ。

欧米から流れる野党勢力への金のルートを完全に遮断させ、資金不足によるデモ継続の中止という形でデモを鎮静化させた。

ウズベキスタン、ベラルーシへの親米傀儡政権の樹立はこうして失敗に終わった。

しかもロシアでは、2006年初めに、外国からの政治活動資金流入を規制する

「NGO規制法」が作られた。

この法律によって、外国からの干渉を阻み、欧米による仕組まれた政変を起こさせないようにしたのである。

その後もアメリカは旧ソ連諸国で選挙が行われるたびに同じやり方を画策したのだが、その都度ロシアは先回りし結局、新たなカラー革命は続々と失敗に終わっていったのだった。

 

 

 

そう、

2014年のあのウクライナ騒乱までは・・

北野幸伯著・「プーチン最後の聖戦」より引用

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