3分でわかる!ロシア正教

ロシア連邦、最大の宗教

 

それがロシア正教だ。

そもそも正教(ギリシャ正教、または東方正教会)とは

ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対し、

キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ→東欧→、ロシアへと、東方に向けて拡大していったキリスト教の宗派のことである。

(もちろん日本にも、アメリカにも正教会は存在する。)

 

その後、ローマ帝国が東西に分裂したことをきっかけに、

西のローマ教会。

東のコンスタンティノープル教会

へと二つの大教会の派閥が生まれていったのである。

(東のコンスタンティノープルが正教の総本山。)

正教会はカトリックと違い、法王、大司教、司教、司祭、などと巨大なピラミッド構造をとっていない。

正教会の聖職最高位を大主教とはしてはいるが、全世界の正教会が一枚岩に組織されているわけではなく、各地域の独立教会がゆるやかに手を結びあっているにすぎない。

しかし、すべてのキリスト教宗派の中の土台であり、

後世によって後付けされた聖書の新解釈、新たな教義や改革を「付け加えることも」「差し引くこともなく」キリスト教の正しい教えを忠実に守り続けている。


ロシア正教の歴史

ロシア正教は998年ごろ、ロシアに持ち込まれた。

ロシアの前身であるキエフ・ルーシの国に住む国民たちを統治するために、当時の国家元首ウラジーミル公は、軍事力だけに頼っては不可能なことを悟った。

そこで、ウラジーミル公はキリスト教の布教を利用した。キリスト教の受容は国家の連携を強め、国民の日常生活と習慣を変え、文化の発展を促していくのである。

なお、イスラム教の布教を選ぶことも考えたのだが、

イスラム教は飲酒を禁じているため、酒好きのロシア人には向かないという理由で不採用となった。


ロマノフ王朝になると、時の権力者・ピョートル大帝の命令により、ロシア正教は皇帝の支配下に置かれることになった。

 

以降、ロマノフ王朝が崩壊するまでの200年間、ロシア正教は皇帝と密接な関係を保ちながら、独立した権限を持つことは許されなかった。


1917年のロシア革命によって、

ロシア正教は激しい弾圧を受けることになる。

共産主義とは、迷信や宗教を否定、無神論を唱えているからである。

1931年には各地の教会は破壊され、

ナポレオン軍に勝利したことを記念して建てられた「救世主ハリストス大聖堂」も

 

 

スターリンの命令によって爆破された。

 

 

かわりに、教会の鐘をすべて没収し、武器や製鉄に換えられたのである。

 

しかし、第二次世界大戦になると、ナチスドイツがソ連に侵攻したことにより、スターリンは国民の民族主義と愛国心を高めるために、ロシア正教を復活させた。あれほど弾圧されながらも、ロシア正教は、深くロシアの民の心に強く根差されていたらしく、国民の戦意を統一させるには利用価値として大だった。

(とはいっても、あくまで、限定的に弾圧を緩め、神学校の再開などを認めるようになったほどだ。)


85年、ソ連末期のゴルバチョフ政権のもと、正教会は完全復活の道を進めるようになる。ゴルバチョフが正式に、過去のスターリンによる正教弾圧を謝罪したのである。

やがて、ソ連崩壊後、エリツィン政権によって、

かつて破壊された「救世主ハリストス大聖堂」も再建することとなり、

プーチンの時代になると、正教の司祭や教会は急増。完全に復活を果たしたのであった。

揺れる大国 プーチンのロシア より引用

 

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