女帝エカチェリーナ編補足解説③

昨日の続きです。

 

ポニャトフスキ

(彼については、こちらの過去漫画をお読みください)

 

 

 

スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ。ポーランド貴族の息子として生まれる。20歳の頃にロシア駐在大使の秘書としてペテルブルクに赴任。

23歳、エカチェリーナと出会い、愛人となる。二人の間にはアンナという娘が生まれた。のちに彼は「エカチェリーナは私の運命を左右する人となった。私は彼女にすべてを捧げた」と述べている。

エカチェリーナが皇帝になるとすぐに、ポーランドでアウグスト3世が没する。そこでポーランドへの影響力を強めようと、エカチェリーナはポニャトフスキをポーランド国王に推薦。めでたく?ポーランド国王となる。

必死で抵抗するも、72年第一次ポーランド分割を迎えてしまう。

1795年、第三次ポーランド分割によって、ポーランドは消滅した。スタニスワフは強制的に退位させられたがサンクトペテルブルクへと居を移し、ロシア政府に多額の年金を支給されてゆったりと余生を送った。


グリゴリー・オルロフ

(彼についてはこちらの過去漫画をお読みください。)

   

 

名門オルロフ家の出身。オルロフ4兄弟の次男。

1758年の七年戦争で活躍した後、エカチェリーナと出会い、愛人となる。

28歳、1762年にエカチェリーナの夫(ピョートル3世)へのクーデターの首謀者になり、その功績でエカチェリーナ2世によって伯爵、副将、工兵総監、首席大将に叙された。

(エカチェリーナは、愛する男たちには、常に出し惜しみなく財産や褒章を与えていた。その莫大な出費のせいで国民に重税を課したとも言われている。)

かわりにエカチェリーナに世界最大級のダイヤを贈る。ダイヤの名前は本人の名前を取って「オルロフ」と名付けられた。

宮殿内に部屋を与えるなど、彼に寵愛を募らせたエカチェリーナだったが、グリゴリー・オルロフは政治家としての資質はまるで無く、恋人としても増長していったため、とうとう政界からもエカチェリーナからも捨てられてしまった。

しかしエカチェリーナは愛した男には、別れる際にも気前よく金品を与える性格だったため、

失脚後も金に困ることなくグリゴリーは晩年を過ごした。


アレクセイ・オルロフ

 

オルロフ4兄弟の三男にして、グリゴリー・オルロフの弟。

かなりの高身長でもあり「頬傷のアレクセイ」とも言われた。

七年戦争で活躍後、

1762年にエカチェリーナの夫(ピョートル3世)へのクーデターに参加。首謀者のひとりでもあり、実際にエカチェリーナの夫を殺害した犯人でもある。

 

露土戦争の指揮を執り、1770年に艦隊を率いて地中海に遠征してチェシュメの海戦(英語版)でオスマン艦隊を破った。

作中では、ポチョムキンとエカチェリーナを取り合う恋敵として描かれたが、これはオリジナル脚色である。

やがて兄グリゴリーがエカチェリーナの寵愛を失ったため、オルロフ家の権勢も次第に薄れていった。

結局モスクワ近くにある宮殿に引退して、きらびやかな舞踏会や晩餐会を開催していった。「モスクワで最も人気のある男」と呼ばれるようになった。

と同時に家畜のブリーダーとしても知られるようになり、オルロフ・トロッターという馬の品種を作り出し、オルロフというニワトリの品種を広めた。

その後、

エカチェリーナ没後、 パーヴェル一世のクーデター殺害にも関与。(真偽は定かではないが)

アレクサンドル政権下、

第四次対仏大同盟戦争中では、

自腹でモスクワ第5区の民兵を編成して指揮した。

1808年、モスクワで死去した。享年51歳

(その遺産は500万ルーブル、農奴が3万人もあったそうな。)

 

 

 

 

 

 




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