女帝エカチェリーナ編の補足解説➁


 

 

昨日の続きです。

 

女帝エリザヴェータ

ピョートル大帝の娘にして、第10代ロシア皇帝。

父ピョートル大帝、母エカチェリーナ1世の死後、

ピョートル2世の短い帝位、女帝アンナの恐怖政治、生後2か月のイワン6世の母親による摂生政治、などロシア帝国の覇権はめまぐるしく変わっていた。両親の死後、不遇な生活を送っていたが、

偉大なピョートル大帝の時代を懐かしみ、イワン6世の体制に不満を持つ近衛兵たちにまつられ、32歳の頃クーデターを起こし、見事女帝の座に就く。

若い頃、婚約者に先立たれたこともあり、彼に操をたて生涯を独身で過ごした。(ただし愛人には事欠かなかった・・)

政治や経済は男たちに任せ、かわりに自分は、芸術や文化やファッションを国内に発展させていった。

絶世の美女にして、おしゃれで道楽が趣味のエリザヴェータはドレスや宝石に目が無く、自分よりも美しい女性に嫉妬してむち打ちの罰などを与えたり、宮殿のクローゼットには1万5千点ものドレスが残されていた。

だが快楽に耽り、怠惰な生活を送っていため晩年は容姿が衰え、肥満体となった。

1761年、53歳崩御。

エリザヴェータ政権下のロシアは比較的安定した時代で、元老院が復活し、繊維業と治金業の発展によって経済が成長した。


 

 

 

第11代ロシア皇帝

 

ピョートル大帝のただ一人の孫にして、女帝エリザヴェータの甥。旧名カール・ペーター・ウルリヒホルシュタイン。

子宝に恵まれなかった女帝エリザヴェータが、ドイツ貴族に嫁いだ姉の息子を後継者としてロシア帝国によびよせた。それが彼だ。

幼い頃から受けていたスウェーデン王位継承者としてのスウェーデンへの愛国教育と、大のプロイセンびいきも相まって、ロシアへの愛国心はまるで持たないままだった。

16歳、天然痘にかかり回復するも、あばただらけになる。

エカチェリーナと結婚するも相性があわず、女優や女官たちと騒ぎまくるか、おもちゃの兵隊ごっこに夢中で、夫婦仲は最悪に。

エカチェリーナの侍女ポロンツォワと恋仲となり性の手ほどきをうけた。

33歳、エリザヴェータが逝去。そのまま皇帝として即位。

34歳、エカチェリーナによってクーデターを起こされる。

(なお、愛人のポロンツォワには恩赦が与えられ、彼女がその後貴族と結婚した際、エカチェリーナはその子供の代母となった。)

クーデターから1週間後、サンクトペテルブルクの宮殿にて監禁されていたが、エカチェリーナの親衛隊アレクセイオルロフによって殺害されてしまった。(酔って暴れだしたため押さえつけようとした時に誤って・・との釈明あり)

 


パーヴェル一世

女帝エカチェリーナの息子にして第13代ロシア皇帝。パーヴェル・ペトロヴィチ・ロマノフ。

生まれてすぐに母子ともども引き離されて、祖母である女帝エリザヴェータに育てられる。そのため、エカチェリーナもパーヴェルもそれぞれ親子としての情がない。

そのうえ、早くから、自分は愛人との子供であることに気づき、生涯母を忌み嫌うようになった。

エカチェリーナが亡くなったと同時に、エカチェリーナの遺言書を破棄し(孫のアレクサンドルに帝位を譲る内容)

ロシア皇帝に即位。

気まぐれで優柔不断な性格もあり、政治も安定せず部下からの信頼は最初から薄く、

ナポレオンよりの外交政策を取った事が決定打となってクーデターを招き、結果暗殺された。

享年47歳。


アレクサンドル一世

エカチェリーナの孫にしてパーヴェルの息子。第14代ロシア皇帝。アレクサンドル・パヴロヴィチ・ロマノフ。

生まれてすぐにパーヴェルから引き離され、女帝エカチェリーナによって育てられ、有無を言わさず次の皇帝として指名される。

7歳より、ルソーに心酔したフレデリック・セザール・ド・ラ・アルプに教育を受ける。

父の死後(クーデター暗殺後)

24歳、にして即位。

当初は自由主義的改革を志向して開明的な政策をとったが、ナポレオン戦争を経たことにより、強権的反動政治に転じた。

アレクサンドル1世の治世中、ロシア帝国はフィンランドと(当時フランスの属国としてよみがえった)ポーランド立憲王国を獲得した。

(アレクサンドルとナポレオンについて漫画で読みたい方は、

まとめ読み・アレクサンドル一世編」をお読みください。)

 

48歳。   旅先にて病死。(しかしこの病死には様々な疑問点があり、暗殺されたのではないかとも言われている)

死後、謎の「アレクサンドル生き残り伝説」が流れる。

「謎多き不思議王」として今なおロシアで語られている


明日へ続く




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