チェチェン人とオセット人


オセット人は、数世紀前にアジアからコーカサスに移り住み、現在のロシア領・北オセチアに定住したイラン系民族の子孫と言われている。勇猛果敢な山岳民族で戦闘術にたけたオセット人はコーカサスの他の民族の間で戦闘を繰り返し、その過程で一部の部族はロシア側に、また別の部族はコーカサス山脈を越えて南に定住した。

伝統的にオセット人とロシア人は良好な関係にあり、ロシア皇帝はオセット人の事を「臣民」と呼んだと伝えられる。

この伝統は革命後のソビエト連邦指導部にも引き継がれた。このため1920年代、ボリシェビキの軍隊がグルジアを占領したときも、グルジアに住むオセット人のために南オセチア自治区が創設された。ロシアに従順なオセット人は、他のコーカサス民族のようにスターリンに粛正されることも強制移住の対象となることも無かった。

しかし、そのぶん、「ロシアの手先」のように見られ、コーカサスの少数派の民族として、ロシアに服従し、ロシアの庇護を得ることは、極めて現実的な生き残り策だったことは想像に難しくな。周囲の脅威に対抗するために大国の庇護を求めた南オセチア。皮肉なことに、それは中世から近代にかけて、ペルシャやオスマン帝国といった周辺のイスラム諸国の脅威に対抗するために、ロシアに庇護を求めたかつてのグルジアの姿とうり二つである。

やがてロシアはこの従順なオセット人を、グルジアやその背後にある欧米諸国との駆け引きの材料として使うようになる。

「揺れる大国ロシアプーチンのロシア」より引用

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