3分で分かる!キリスト教の歴史


皆さん、メリークリスマス。
今日はイエスキリストの誕生日、という事で

改めて、キリスト教の簡単な歴史を説明したいと思います。

というのも、今後ロシアンボンバにおいて、キリスト教やイスラム教やユダヤ教が絡むお話が出てくる予定なので、この際、ここでざっくり勉強しちゃいましょう。


まずキリスト教を語る上で欠かせない存在は、

ユダヤ教。

(ダビデの星。ユダヤのシンボル。)

ヤハウェーという神を信仰とし、旧約聖書(アダムとイブとか、カインとアベルの物語とかが収録されたお話)を最大の教本とした、

ユダヤ教という一大宗教がまず最初に生まれました。

その後、イエスキリストという人が、
違う解釈を付け加えて、新約聖書という新たな教本をまとめて出来たのが

キリスト教。

(最新のCGで復元された、キリストの肖像↑)

さらにその後、アラビア半島で、ムハンマドという人が、もっと違う解釈で、よりわかりやすい教えをまとめたコーランという教本を基に広まったのが

イスラム教。

(イスラムのシンボル。三日月星。砂漠の国の人々にとっては、月や星は、人々にとって、安らぎを意味する。)

(イスラムの預言者ムハンマドさん↑)

つまり、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も3つの宗教は、もとは同じところから始まって、枝分かれしたもの。
同じ神様を信仰しているわけです。
解釈が違うだけで、聖地も同じ場所です。


最初に生まれたユダヤ教とは、

ユダヤ教を真摯に信じ、ルールを忠実に守るものだけが、神様に愛される、といった選民(エリート)思想が大前提にありました。そして、いつか、救世主が現れ、世界を良くするであろう、という「待望論」が根底に流れています。

(ユダヤ人とは、血族ではありません。ユダヤ教を信じ洗礼を受けた者なら、黒人だろうとアジア人だろうとユダヤ人を名乗れます)

しかしユダヤ教は戒律がとても厳しく、犯した罪に与えられる罰がとても重かったのです。

その厳しすぎるユダヤ教に異議を唱えたのがイエスキリストさま。

 

貧しく、報われない市井の人々からしたら、待ち望んでいた救世主(ユダヤ教徒にとっては異端者)でした。

神様のもとでは皆平等、信じるだけで救われる。どんな罪を犯した者も、許してあげる。貧富の差や権力の差に拘らず、すべからく人々を救済する、新しい教えをヨーロッパからアラビア半島まで広めていきました。


しかし、最初の頃のキリスト教は、主流だったユダヤ教を否定するものとして、邪教認定されます。

さらに、当時、ヨーロッパを支配していたのが、ローマ帝国。ローマ帝国は、土地に根付く多宗教と、ローマ皇帝を市民に崇めさせていました。

ですから、キリスト教なる、「ゆるし」がテーマの新興宗教が、広まっては、帝国が滅ぼされる一端になるのでは、と恐れ、キリスト教を迫害していきます。
けれども、キリストの弟子たちが根気強く、ヨーロッパの市民たちに布教していった結果、キリスト教の信者はものすごい勢いで増加しました。

あまりの多数派に膨れ上がったキリスト教を、これ以上否定することが出来なくなった、ローマ帝国とユダヤ教は、ようやく、4世紀になって
キリスト教を、れっきとした宗教と容認するのでした。


その後、ゲルマン民族という巨大な勢力が、フン族との戦争によって、ローマ地方に大移動してきました。

その影響によってローマ帝国は、西ローマ帝国と東ローマ帝国のふたつに分断。(東ローマは、今のバルカン半島、旧ユーゴスラビアあたり)
しかし、結果的に西ローマ帝国は滅び、その西ローマの地に、フランス、ドイツ、イタリアのもとになる三つの国が生まれました。


それとは別に、

7世紀、アラビア半島にて、ムハンマドという商人が、新たにイスラム教という新解釈の宗教立ち上げ、一気に広めます。

イスラム教を信じる勢力が一気にふくれあがり、やがて、イスラムの帝国が築かれます。それがトルコ(の源流にあたる国)
です。

イスラム教の帝国の力はあまりに強く、ユダヤとキリストの聖地エルサレムをイスラムの国が支配してしまいました。

当時のキリスト教の指導者であるローマ教皇は、聖地を取り戻すべく、

十字軍をエルサレムに派遣するのですが、失敗に終わってしまいました。

そのうえ、十字軍の戦いなど我関せず、イタリア半島あたりでは、アラビアの商人たちと貿易が盛んになり、各ヨーロッパの小国たちが次々に栄えていくのでした。


権威も衰え、財政も苦しくなったローマ教皇は、

権力を取り戻す苦肉の策として、「免罪符」(それを買えば、どんな人間も救われて天国に行けるという胡散臭い紙きれ)

を大量に発行して売り出しました。(金の亡者ですね‥)

このやり方に次々と批判する者たちが現れ、キリスト教はさらに分裂していきました。

免罪符を売ったローマ教皇側は

カトリック。

批判した側は

プロテスタント

に分かれたのです。

これが世にいう「宗教改革」です。

カトリックはプロテスタントに負けるわけにはいかなかったので、

新しく「イエズス会」という派遣グループを作り、

アジア方面に、キリスト教カトリックを布教していきました。このイエズス会のメンバーの一人が、

かのザビエルさんなのでした。

 


と、駆け足で説明していきましたが、

ざっと、キリスト教の歴史とはこういう物なのですね。

わかりましたか?お役に立てたなら光栄です。

ちなみに、ロシアは、キリスト教がさらに細分化した

ロシア正教です。

正教については、また別の機会で説明いたしますね。

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