3分でわかる!ユーゴスラビア紛争、NATO空爆、ユーゴスラビア解体


セルビアボンバの「ユーゴスラビア栄枯盛衰」、いかがだったでしょうか。1話 2話 3話 4話 5話 6話 7話 8話、併せてお読みください。

ユーゴスラビアは

7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家。

7つの国境 イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニアの7ヵ国と国境を接している。
6つの共和国 スロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニア
5つの民族 スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、マケドニアが主たる民族。(これ以外にムスリム人、ドイツ人、ロマ、など少数民族が存在。)
4つの言語:スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語。
3つの宗教 キリスト教カトリック、ギリシア正教、イスラム教。
2つの文字 ラテン文字とキリル文字。

複雑に絡み合う民族や宗教や言語の人々が重なり合って暮らしてきたこのユーゴスラビアは、モザイク国家と言われていました。

 

さてざっくりですが、時系列を整理してみましょう。


1980年 チトー大統領死去

最初の頃は、チトーの穴埋めとして、連邦国家大統領を、各共和国から交代制で勤めていたが、共和国によっての経済格差が表れだし、少しずつ独立や民主主義社会への路線変更希望者が増えだす。

(85年にはソ連のゴルバチョフがペレストロイカを打ち出した事をきっかけに、世界の社会主義国は少しずつ資本主義社会へと変わっていった)

1990年 初の自由選挙実施。各共和国に、独立推進派の政党が躍進。

ザグレブで行われたディナモ・ザグレブvsレッドスター・ベオグラード戦での乱闘事件勃発(「MASTERキートンreマスター」「親愛なるアントニヤへ」参照)

1991年 豊かなスロベニア クロアチア共和国、マケドニア、 コソボ、それぞれが、ユーゴスラビアから独立を宣言。これに対し、中央のセルビア共和国、大いに反対。

紛争開始

最初にスロベニア戦争勃発。しかし、対決したのは中央のセルビア共和国だけで住民がスロベニア人だけの国という事もあり、わずか10日で戦争終了。独立完了。

同年、クロアチア紛争勃発95年まで長期にわたる戦いが続いた。(国内の一部をセルビア人居住区として分離してセルビア共和国へ併合することを認めるという形で合意。紛争は終結。)

遅れて、ボスニアヘルツェゴビナ、独立を宣言。当然セルビア共和国はこれに反発。ヨーロッパ最悪の紛争と言われる

ボスニア紛争が勃発。

詳しい内容は、あまりに残酷なため、ここでは割愛いたします。

(クロアチア人VSムスリム人VSセルビア人とセルビア共和国政府の 三つ巴)

92年、クロアチア政府が国連に報告。米国のPR会社を頼り、セルビア人=一番の悪、という構図のプロパガンダ作戦を開始する。

国際世論が、「悪のセルビアを倒せ」という流れの中で、

最初のうちは米国及び西側諸国も軍事介入は気乗りしていなかった。が、

93年、セルビア側がサラエボの青空市場を砲撃して68人の死者が出る事件発生。国連激怒。

94年 NATOによる空爆開始。(米国、当時はクリントン政権。)

NATOや国連が分からない方は、過去記事をお読みください。

 

NATO側も、セルビアに和平案を何度か出していったがうまくいかず。結局3千回以上の爆撃をNATOは続けた。疲弊したセルビア共和国が和平に応じる。翌年、ボスニア戦争終結。

98年、コソボ紛争勃発。

(前年の97年には、アルバニア系住民が、隣国アルバニアからの支援によって、武器を大量にもらい、武装ゲリラが増えていった。)

欧米のメディアは、「悪のセルビア人がまた一方的にアルバニア人を虐殺している」、と連日報道。またも世論は「セルビア人を倒せ」という流れとなり、

99年、NATOによるコソボ空爆。(ドイツまで空爆に積極的に参加する。)

このコソボ空爆の中で、中国大使館まで爆撃。以降、NATOは中国との仲が悪化することになる。

(作中でも描きましたが、米国は禁断の劣化ウラン弾まで投下しました。まさに鬼畜の所業。ユーゴの地は放射性物質で汚されていきました。)

甚大な被害と各国の関係がもつれにもつれ、99年6月に戦争終結コソボの独立はとりあえず、棚上げになった。

2001年、ウィーンにて、スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・マケドニアが、ようやくユーゴスラビアからの独立を調印され、旧国土の資産の分配方法が取り決められた。

2006年、モンテネグロ共和国が国民投票の結果、独立を宣言。

すでに疲弊しきっていた中央のセルビア政府は反対もせず、モンテネグロだけが唯一、一滴の血も流すことなく、独立完了。

2008年、アルバニア系住民によって一方的に、コソボ独立をまたまた宣言。コソボ内のセルビア系住民、大いに反対。

しかし、これを米国は、「セルビア住民はアルバニア住民を虐殺している。セルビア人がコソボを統治する資格はない」と、言いがかりをつけ、(アルバニア人主導の政治体制として)独立を推進。

2010年、国連及び国際司法裁判所までも、この国際法を完全に無視した理不尽な独立を承認。

こうして、長い長い歴史をもった、ユーゴスラビア連邦は完全に地球上から消滅したのであった。



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